HP内の目次へ・検索もできます!  『山本忠司展 -風土に根ざし、地域を育む建築を求めて-』

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京都発大龍堂通信:メールマガジン通巻13606号 2018年3月10日
PDF『山本忠司展 -風土に根ざし、地域を育む建築を求めて-』 『山本忠司展
-風土に根ざし、地域を育む建築を求めて-』

日時:2018年3月22日(木)~6月9日(土)
 10:00~17:00(入館16:30)

休館日:日曜日・祝日
場所:京都工芸繊維大学 美術工芸資料館
〒606-8585
  京都府京都市左京区松ケ崎橋上町1
 TEL:075-724-7924
※京都市営地下鉄松ケ崎駅より徒歩10分
入館料:一般200円、大学生150円、高校生以下無料
※京都・大学ミュージアム連携所属大学の学生は無料で
  学生証の提示により入館できます。
主催:京都工芸繊維大学美術工芸資料館
特別協力:香川県
山本忠司は、1950年代から80年代にかけて、香川県営繕課の技師(のち課長や次長、技監)などとして活躍し、香川県下に多数の良質な建築を設計した建築家です。
山本は、丹下健三設計の香川県庁舎(1958年)や香川県立体育館(1964年)の実現に貢献したほか、自ら瀬戸内海歴史民俗資料館(1973年/日本建築学会賞受賞)や香川県立武道館(1964年)屋島陸上競技場(1953年/現存せず)など香川県下に良質な公共建築を設計しました。また高松の喫茶「城の眼」(1962年)の設計を彫刻家の流政之や作曲家の秋山邦晴とともに手掛けました。イサム・ノグチとの交流を通じてイサム・ノグチ アトリエ(現・イサムノグチ庭園美術館)の建物の移築設計を手伝い、イサム・ノグチを支えた彫刻家の和泉正敏氏(イサム・ノグチ日本財団理事長)の自宅兼アトリエ「イズミ家」(1973年)も設計しました。アートの島、直島の石井和紘の作品群の実現に貢献し、家プロジェクトの第1号、宮島達男の「角屋」の移築設計を手掛けたのも山本です。山本は、戦中に京都工芸繊維大学の前身校の京都高等工芸学校に入学し、戦後すぐに後身校の京都工業専門学校を卒業しました。つまり本学の卒業生です。また1952年にはヘルシンキオリンピックに三段跳びの日本代表選手として出場もしたという、異色の経歴の持ち主です。そんな山本の初の展覧会です。4月21日にはシンポジウムも開催します。和泉正敏氏をゲストとしてお招きします。
[出展作品]:
屋島陸上競技場*(1953年)
喫茶「城の眼」(1962年)
香川県立武道館(1964年)
イサム・ノグチ アトリエほか(1969 - 88年)
農業試験場農業展示館*(1969年)
栗林公園讃岐民芸館(1970年)
瀬戸内海歴史民俗資料館(1973年)
イズミ家(1973年)
観音寺市立豊浜小学校・幼稚園(1975年)
県営住宅宇多津団地(1975年)
香川県立高松西高等学校(1978年)
(*現存せず)
[記念シンポジウム]:
会場:京都工芸繊維大学 1号館0111講義室
日時:2018年4月21日(土) 14時~17時
定員:150名
入場:無料(当日先着順)
[プログラム]:
基調報告「山本忠司が切り拓いた世界」
松隈 洋(京都工芸繊維大学美術工芸資料館教授)
笠原一人(京都工芸繊維大学助教)
三宅拓也(同上)
記念対談「山本忠司との出会いと思い出」
和泉正敏(彫刻家、イサム・ノグチ日本財団理事長)
木村博昭(建築家、京都工芸繊維大学教授)
[山本忠司プロフィール]
山本忠司(1923~97年)は、香川県大川郡志度町(現・さぬき市志度)に生まれ、1943年 に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科に入学、しかし、同年12月に徴兵されて香川県善通寺町の陸軍第 11 師団に入営、高松で敗戦を迎える。同年 10 月に改組された 京都工業専門学校建築科へ復学し1948年の卒業後は香川県に入庁、土木部営繕課技師として香川の戦後復興のために働き始める。一方で山本は、1952年に北欧フィンランドで 開催されたオリンピック大会に三段跳びの日本代表選手として出場する。日本が敗戦から独立を果たし、国際社会へ復帰する記念すべき歴史の只中にもいたのである。この時、山本は、ギリシアやイタリアにも立ち寄り、パルテノン神殿などにも触れている。そして帰国直後に手がけたのが屋島陸上競技場(1953年)であり、北欧モダニズムの影響が読み取れる。また奇遇にも、同年から、金子正則知事(1907~96年)の指揮の下、香川の戦後復興の象徴と なる丹下健三(1913~2005年)の県庁舎計画にも携わり始める。山本は、この経験を通して、最前線の丹下の仕事に学びつつ、地元香川で培われてきた木工事や石材加工の職人技の高さや素材の豊富さ手仕事として実感できる伝統の厚みに目覚めていく。その成果は、香川県 立武道館(1964年)や栗林公園讃岐民芸館(1970年)などに結実する。また、県庁舎の石工 事を担当した地元の岡田石材工業の岡田賢(1924~2011年)や彫刻家の流政之(1923年~)ら気心の知れた仲間たちと、自らの創造の原点となる喫茶・城の眼(1962年)を完成させる。そして、日本建築学会四国支部の民家研究グループの一員として携わった民家調査も、その視点を確かなものにしていった。調査の一部は1970 年に、彫刻家のイサム・ノグチ(1904~ 88 年)の邸宅、通称“イサム家”となる丸亀の庶民的な武家屋敷を移築する設計の仕事としても実を結ぶ。続いて取り組んだのが瀬戸内海歴史民俗資料館(1973年)であり,これによって県の建築技師としては初となる日本建築学会作品賞を受賞する。このように山本は建築課を率いて地元香川に根づく建築の姿を模索しながらも、大江宏、芦原義信、大髙正人、浅田孝ら著名な建築家に仕事を依頼して、香川県の公共建築の水準の 向上にも努めた。また、浦辺鎮太郎や松村正恒、神代雄一郎らとの親交を深め、共同で瀬戸 内海建築憲章(1979年)を発表する。山本は 2010年に始まる瀬戸内国際芸術祭に結実する 思想的な広がりをこの時点で提示していたのである。
没後初となるこの建築展では、山本忠司の求めた、風土に根ざし、地域を育む建築とその建築思想の一端を、県庁在籍時の仕事を通じて紹介し、地域主義的建築の可能性と現代への 示唆を読み取ろうとするものである。
お問合せ先:
京都工芸繊維大学 美術工芸資料館(Museum and Archives, Kyoto Institute of Technology)
〒606-8585 京都市左京区松ヶ崎橋上町
TEL:075-724-7924 FAX::075-724-7920
 http://www.museum.kit.ac.jp/
アクセス <地下鉄> 京都市営地下鉄烏丸線 「松ヶ崎駅」1番出口から右 (東)へ約400m、
4つ目の信号を右(南)へ約180m <バス> 京都バス「高野泉町」下車、馬橋を渡り左へ約200m。



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