華ひらく京都町衆文化 「立正安国論」奏進750年記念「特別展覧会」 『日蓮と法華の名宝』
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![]() 「立正安国論」奏進750年記念「特別展覧会」 『日蓮と法華の名宝』 日時:2009年10月10日(土)〜11月23日(月・祝) 9:30〜18:00 (金曜日20:00)※入館は閉館の30分前 休館日:月曜日 (ただし10月12日、11月2日は開館し、 10月13日(火)、11月4日(水)は休館) 場所:京都国立博物館 〒605-0931 京都市東山区茶屋町527 観覧料:一般1,300円(1,000円) 大学・高校生900円(600円) 中学・小学生400円(200円)※( )団体20人以上 ○平常展示館は建て替え工事のため、 展覧会会期中は閉館しております。 ○障害者とその介護者は、入館の際に障害者手帳 などをご提示いただければ、障害者本人と介護者 1人が無料となります。 主催:京都国立博物館、日蓮聖人門下連合会、 日本経済新聞社、京都新聞社 後援:文化庁、京都府、京都市、京都府教育委員会、 京都市教育院会、(財)全日本仏教会 協賛:日本写真印刷株式会社 |
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文応元年(1260)、39歳の日蓮は、国家の危機を憂えて、『立正安国論』を著し、鎌倉幕府前執権の北条時頼に献じます。日蓮は、これらが原因で後に佐渡へ流され、苦境を忍ぶことになります。その一方で、この『立正安国論』で予言した「他国侵逼難(他国が攻めてくる災難)」が、蒙古襲来(文永・弘安の役、1274年、1281年)という現実となったことで、彼は法華信仰を確信するに至ります。平成21年は、それから750年の節目の年に当たります。 本展はこれを記念し、『立正安国論』を軸に、鎌倉新仏教の一翼を担った日蓮の足跡をたどり、その門下の活躍、特に孫弟子にあたる日像の京都布教以降、公家文化と並ぶ町衆文化の形成に果たした日蓮諸宗の大きな役割を紹介します。日像は三度の京都追放にもめげず、帝都布教の悲願を達成し、大覚大僧正妙実という優れた後継者を得て、その基盤が確立しました。やがて、法華信仰は室町時代を通じて町衆を中心に広がり、京都は「題目の巷」と称されるまでになりました。反面、勢いが強まったことで、旧仏教界の中心であった比叡山と関係が悪化します。天文五年(1536)、ついにその対立は天文法華の乱として火を噴き、京都撤退の憂き目をみましたが、ほどなく帰京が許されてから、再び勢いを回復します。その後、天正七年(1579)の織田信長による安土宗論での浄土宗への敗北、文禄四年(1595)の豊臣秀吉の方広寺大仏殿千僧供養に際して日蓮諸宗への出仕の強要による宗内の動揺など、政治と宗教という難しい問題にも遭遇しました。ちなみに、当館の敷地には、まさにその方広寺の遺構の一部が含まれており、史跡に指定されています。このような曲折を経つつも、今日なお、その伝統は京都十六本山を中心に受け継がれており、それを支えたのが町衆だったのです。この町衆が京都近世文化の形成に大きな役割を果たしたことは知られていますが、名だたる近世の芸術家たちが法華の信者だったことは意外と知られていません。たとえば、狩野元信、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、彼らがみな法華信徒であったと聞くと「エッ!?」と驚く方も多いのではないでしょうか。つまり、狩野派、長谷川派、琳派といった画派は、この法華を媒介にした京都町衆の濃密な人間関係から形成されたともいえるのです。 本展では、法華信仰の遺品はもとより、これら近世日本美術の名家の優品も展示することで、日蓮諸宗と京都町衆文化の奥深さを再確認するものです。こうした趣旨の展覧会はあまり例がありませんでしたので、十六本山を中心に事前調査を行い、多くの新発見に結びつきました。中には重要文化財級の作品もあり、数多くの初公開作品もみどころと考えています。多くの方のご来場をお待ちしています。 |
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お問い合わせ: 京都国立博物館 〒605-0931 京都市東山区茶屋町527 TEL:075-541-1151 |
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