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京都発大龍堂通信:メールマガジン通巻10838号 2019年5月26日 | |||||
★『POD版 復刻版 数寄屋聚成全20巻』 は順次発刊致しますが。 ご覧になりたい巻がありましたら、ご気楽にご連絡ください。ご希望の巻を先に発刊いたします。 ![]() |
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全20巻 構成 第1巻 數寄屋建築史圖聚 (東山桃山時代) 第2巻 數寄屋建築史圖聚 (徳川時代前期) 第3巻 數寄屋建築史圖聚 (徳川時代後期) 第4巻 數寄屋建築史圖聚 (明治大正時代) 第5巻 數寄屋名席聚 (各流茶租好) 第6巻 數寄屋名席聚 (武人文人好) 第7巻 數寄屋名席聚 (名流茶匠好) 第8巻 數寄屋名園聚 (茶庭・燈燈籠) 第9巻 數寄屋名園聚 (茶庭 局部) 第10巻 數寄屋名園聚 (蹲踞・手水鉢) 第11巻 近代數寄屋名席聚 (現代 茶室) 第12巻 近代數寄屋名席聚 (書院式茶会) 第13巻 近代數寄屋名席聚 (新興 茶室) 第14巻 數寄屋住宅聚 (歴史 圖録) 第15巻 數寄屋住宅聚 (書院式數寄屋) 第16巻 數寄屋住宅聚 (數寄屋造別荘) 第17巻 數寄屋建築構造聚 (外観 構成) 第18巻 數寄屋建築構造聚 (窓・躙口) 第19巻 數寄屋建築構造聚 (室内構成) 第20巻 數寄屋建築構造聚 (續室内構成) |
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![]() 注文受注制 復刻版・数寄屋聚成16 『数寄屋住宅聚 数寄屋造別荘』 原本: 著者:北尾春道 発行:洪洋社 昭和十一年十二月八日 發行 編集・発行:京都普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・100p ![]() ![]() |
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前詞 我国における別荘山荘、別墅等の形式は、速く原始時代にも存してゐたのであるが、稍々完全せるものは奈良朝、平安朝にはじまり、鎌倉時代を経て室町時代に至つては.殊に華麗な別荘建築が發達したのである。而してそれら多くの建築形式は當時の邸宅建築と同様に、やはり多く佛閣祀堂の形式を保つてゐたのである。次いで桃山時代に入りて茶道の流行とその發達は、其處に數寄屋造なる別荘を産み、以来現代に至るまで、およそ別荘建築としては我國の気候風土に最もよく適合し、そして清廉風流な建築の代表詞とさへ呼ばるゝやうになつたのである。今後もおそらくこの數寄屋造別荘の形式は、如何に歐米の別荘建築の形式が混線亂入して移植せられても、永久に日本式な根強い力をもつて保持され、且つ近代的な生活にも適從して、更に發展すべき充分な可能性を有してゐると稱せらるべきであらう。桃山、徳川時代の数寄屋造別荘の遺構は、さきに本聚成歴史圖聚中に於て二三發表したのであるが、玄に収録せる福井市寶永町松平別邸内の養浩館並に同市照手町の三秀園は、徳川中期に於ける數寄屋造別荘として、その構造手法や意匠の着想が殊に奇抜優秀なるもので、両者とも創建時代の原形が比較的よく保存されてゐる。惟ふに前者は書院風の數寄屋趣味に徹亭徹底せるもの、また後者は草庵風の手法をよく洗練し加味されたるもので、所謂數寄屋造別荘としては両者とも各々特色を有する構想をもち、當代における最も貴重な遺構と稱すべきである。本聚は特にこの両別荘を詳細に實測撮影の上収録上梓せるもので、江湖の諸賢に御高評賜らんことを希ふものである。囚に、最近福井市役所に於ては、此の二名園を保存せんとして、極力其方法を考慮中であると聞く、建築界の為め、眞に慶賀すべき次第である。 昭和十一年師走 京都高臺寺岡淋院忘知庵にて 紫雲洞 北尾春道 識 |
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[圖版目次] 養浩館 平面圖…(一) 南姿圖…(ニ) 南面姿圖…(三) 古圖…(四) 養浩館記…(五) 清廉亭?額…(六ー七) 全景…(八) 西南面外観…(九) 書院南面外観…(一○) 庭園全景(十一) 御月見の間東南面外観…(十二) 櫛形の間…(十三) 同 窓詳細…(十四) 次の間より見たる御座之間…(十五─十六) 同 出書院詳細…(十七) 同 違棚詳細…(十八) 次の間前入側椽の一隅…(十九) 御月見の間…(ニ○─ニ一) 同 雲窓の出書院…(ニニ─ニ三) 同 床脇棚…(二四─二五) 鎖の間…(二六) 鷄鳴の坂戸詳細…(二七─二八) 臼の御茶屋の蹲踞…(二八─三○) 三秀園 平面圖…(三一─三二) 外観…(三三─三六) 自適庵外観…(三七) 露地内腰掛待合…(三八) 醍心齋及水屋外観…(三九) 醒心齋茶席…(四○) 玄關廣間の一隅…(四一) 水屋出入口及醒心齋の茶道口…(四二) 水屋…(四三─四四) 自適庵茶席…(四五) 自適庵中柱附近詳細…(四六) 同 躪口内部及點前座…(四七) 同 天井詳細…(四八) 同 通口詳細…(四九) 貮階裁錦櫻…(五〇) 同 南側詳細…(五一) 同 床脇棚詳細…(五二) 次の間向切?附近…(五三) 同 半圓窓…(五四─五五) 廣間…(五六) 次の間より南庭を望む(五七) 同 床脇棚及出書院詳細…(五八─五九) 縁蘿庵…(六○) 釘隠…(火一) 龍の間床脇棚…(六二) 膳所前茶之間の建具…(六三) |
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![]() 注文受注制 復刻版・数寄屋聚成11 『近代数寄屋名席聚 現代茶室』 原本: 著者:北尾春道 発行:洪洋社 昭和十年八月廿三日 發行 編集・発行:京都普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・104p ![]() ![]() |
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前 詞 近代の数寄屋 それは現代の社曾生活に生き、あらゆる近代文化に包容されてゐる現代人の好によつて、新らしく建築された数寄屋ではあるが、他の多くの現代建築とはその趣を異にして、全く茶道特有の雅境におかれてゐる建物である。随つてその建築的目的件も現代の繁雑な都曾生活の反面に、或る自然的な要求として簡雅幽遠な境致を求めるため、数寄屋を造る場合があり、或はあらゆる芸術の趣味的生活の高調期に達し、遂に佗と寂に生きた茶道の仙境に親まんとして、幽雅な数奇屋の構想を求める場合がある。更に又かうした個人的な趣味をはなれて、古往の有名な茶匠や歌人、名流の人々に由緒ある名蹟地に封し、その人格や行状に敬慕、追憶、寄信等のための記念的建築物として、風雅な表現を基調とする新らしい数寄屋もあり、共の他大庭園中の一添景物として取扱はれた特別な場合等もある。而してその多くの数寄屋は、現代における茶匠の指導設計によるものも尠くないが、古往の巨匠達の遺構に成れる名賭を寫して新らしく造立されたもの、または名席の意匠や寸法を参考として、多少新しい創意的構想を織込んで建てられたものもある。或は全く獨自な見解のもとに、創作的意匠を表現されたものも尠くない。これ等多くの数寄屋が、假令桃山、徳川時代の様式を襲踏し、その寸法意匠の一部を写し得てゐるものとしても、その建築的内容や表現せる構想には、やはり現代人の生活趣味の意識が判然と浸透して、近代文化の表徴を窺ふことが出来得るのである。惟ふに現代日本の建築が、最近は近代的大都市を中心として、あらゆる意味における建築の科学化、工業化が発展し、また様式の国際化が呼ばれつゝあるの時、ひとり数寄屋建築のみが依然として根強く我国特有の木造の手工芸的建築として、一歩も異國の様式に浸潤されず、しかも古典的な感情さへも見えずして、常に清新─簡雅な日本的な姿を表明し、かくして美術日本の最高文化を象徴する茶道芸術と共に、現代の数寄屋も悠久に盡きない生命が漂つて、純粋日本建築の一分野を保持してゆくべきものであらう。 本輯は大正末期より昭和現代に至る、比較的欒化と自由な意匠に富むところの茶室を収録し、以て近代数寄屋名席店聚(現代茶室)として江湖の諸賢に供するの光栄を得た次第である。 昭和十年夏 紫雲洞 北尾春道 識 |
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[圖版目次] | |||||
席名 所在 好 洗月亭 京都・銀閣寺 銀閣寺(一 ─ 六) 孤雲亭 京都・寂光院 寂光院(七 ─ 一一) 賓集會茶室 兵庫・賓塚植物園 千宗左惺斎(一二 ─ 一八) 三玄亭 京都・平井別邸 平井仁兵街(一九 ─ 二四) 班鳩庵 東京・根津邸 根津嘉一郎(二五 ─ 三一) 時雨亭 京都・厭離庵 大澤常覚(三二 ─ 三六) 有楽庵 東京・高橋箒庵 高橋箒庵(三七 ─ 四五) 森岡別邸新茶室 鎌倉・森岡別邸 森岡平右衛門(四六 ─ 五二) 貴善亭 京都・吉田山 谷川茂庵(五三 ─ 五七) 蓮華院茶室 横浜・三渓園 原富太郎(五八 ─ 六〇) 雨賓庵 鎌倉・前山別荘 前山久吉(六一 ─ 六六) 瑞暉亭 瑞國・博物館 藤原銀次郎(六七 ─ 七五) |
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![]() 『数寄屋建築史圖聚 明治・大正時代』 原本・監者:北尾春道 昭和十一年十二月一日発行 編集・発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・110p ![]() ![]() |
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前詞 徳川時代の末葉より明治初年にかけて、政變動亂、維新の改革、欧米文化の輸入等に伴ひ、我茶道界のすべてが沈默と沒落の境涯におかれ、曾ては華麗と審美を誇りし桃山時代の書院式茶禮も、静寂と佗の禮味を心から愛でし草庵式茶禮も殆ど失はれ、名将武人や、名イ會雅客の好まれし昔日の名席も、その面影を荒蓼たる雑草茂る露地の一隅におかれて、顧みるものさへ無かつたのであるが、政變漸く治り、欧米の文化が頻りに輸入さるゝと共に、一部の人々はその反動に伴ひ、日本美術の眞髄を謳歌するものもあつたが、茶道界の全般はなほ沈黙の状態であつた。然し茶租の流れを汲む各流宗匠は、僅かに傅統的の茶式を継承Lて、根強く我茶道界の為めに保持してゐたのである。またこの間にあつて、最も健全に茶道藝術を沈黙と没落より救ひ保持せられたのは、井上世外侯爵、益田孝男爵の二氏であつた。而して明治の中期より大正時代に至るまでは、各流宗匠の外にあらゆる方面から呼びかけて、我日本茶道の眞髄を普及傅達されたのは高橋箒庵氏である。斯く明治時代の茶道界は更生の第一歩であり、大正時代に至つては復興と再現の時代とも稱すべきであらう。また茶室建築も明治中期より漸く古席の保有を叫び、或るものは特別保護建造物に指定せられ、或るものは保存曾の手で修補を加へなどして移轉等を為さLむる等、あらゆる方法をもつて保存せらるゝやうになつたのである。随つてこの時代に造られたる新らしい茶室と稱しては、古往の模写とその手法を踏襲せる形式のものが多く、特別の創作的な意匠をもつて古席の域を脱し、超然たる作意のもとに實現したるものは殆んどなく、即ち東山末葉数寄屋の発生時代より、桃山時代、徳川時代を経て当代に至る間に於て、最も名作の尠かりし時代とも考へられるのであるが、然し明治大正時代固有の特色を有するものも多少無いではなかつた。本聚は当時代に建てられたるものゝうち、形式に於ても變化に富む代表的な数寄屋を選び、数寄屋建築史圖聚(明治大正時代)として編輯上梓せるものである。乞ふ諸賢の御高教賜はらんことを。 昭和十一年霜月 京都東山高台寺岡林院にて 紫雲洞 北尾春道識 |
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[図版目次] 席名---------------所在-----------------好-------------------------- 松花堂茶室 大阪・田中邸 松花堂好寫 (一─四) 龍吟庵 京都・稻畑邸 稻畑勝太郎 (五─八) 明月舎・千歳軒 京都・北野神社 中川宗甫 (九─三) 洗心洞茶室 堺・辻本別邸 利休好實相庵寫 (一四─一九) 空庵・漱芳 京都・住友別邸 住友春翠 (二○─三二) 白雲居 京郡・清水寺 藪内竹翠 (三三─三九) 幽月亭 小田原・益田別邸 益田鈍翁 (四〇─四五) 白紙庵 東京・齋藤邸 高橋箒庵 (四六─五二) 観雲亭 京郡・稻畑邸 稻畑勝太郎(五三─五六) 閑雲軒 京郡・瀧本坊 木津宗泉 (五七─六一) 豊秀合 京郡・豊国神社 藪内竹窓 (六一─六六) 南坊庵 京郡・谷川別邸 谷川茂庵 (六七─七) |
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![]() -数寄屋名席聚 武人文人好- 原本 編著:北尾春道 発行:浩洋社 発行日:昭和十年十月十八日 定價:金参圓五拾銭 復刻版 編集・発行:京都建築普請研究会 発売:大龍堂書店 発行日;2018年2月25日 定価:(本体2,700円+税)A4・98p ![]() ![]() |
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図版目録 名稱・・・・・・・・・所在・・・・・・・・・・・・・・・好・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 漣亭 京都・等持院 傅足利義政(一-五) 蝸穀庵 相州・益田孝邸 松花堂(六-一一) 龍松庵 奈良・興福院 公慶上人(一二-一六) 鬼瓦席 京都・高臺寺山内 佐野紹益(一七-二一) 退臧院圍 京都・妙心寺臧院 比喜田某(二二-二五) 撓花亭・漣社 京都・西本願寺滴翠園 小堀遠州(二六-三四) 慈照院茶室 京都・相國寺慈照院 傅足利義政(三五-三九) 三秀亭 奈良・依水園 清須美道清(四〇-四二) 樂々庵 京都・南禪寺歸雲院 樂々露山・小島宗石先(四三-四五) 唯松庭 大阪・木原別邸 庸軒好の寫(四六-五〇) 十万堂茶室 大阪・中田邸 小西來山(五一-五五) 豐公茶席 大阪・阿彌陀池二葉 豊臣秀吉(五六-六〇) 淀屋席 大阪・阿彌陀池二葉 淀屋言當(六一-六五) 宗朴亭 大阪・阿彌陀池二葉 狩野宗朴(六六-六八) |
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![]() -数寄屋名席聚 名流茶匠好- 原本 著:北尾春道 発行:洪洋社 定価:金参圓五拾銭 発行日:昭和十一年八月廿五日 復刻版 企画・発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・98p 発行日:平成30年2月25日 ![]() ![]() |
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図版目録 席名・・・・・・・・・・・・所在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 安樂庵 三重県・高田派専修寺 織田有楽 千道安(一-九) 幽香 奈良・吉野櫻本房 傳豊臣秀吉(一〇-一三) 夕顔亭 金澤・兼六公園 傳小堀遠州(一四-一九) 長闇堂 奈良・興福院 久保利世(二〇-二二) 漱枕居 京都・東本願寺渉成園 石川丈城山(二三-二七) 大虚庵 京都・鷹峯光悦寺 本阿彌光悦(二八-三〇) 利休堂 京都・裏千家 千仙叟(三一-三三) 咄々斎 京都・裏千家 千仙叟(三四-三五) 無色軒 京都・裏千家 千仙叟(三六-三八) 寒雲亭 京都・裏千家 千仙叟(三九-四一) 吉野遺芳席 京都・高耋寺山内 吉野太夫(四二-四七) 龍門園茶室 名古屋・龍門園内 木津松斎(四八-六〇) (時入庵・洗心園・清風軒) 環堵 大阪・本派本願寺津村別院 文如上人(六一-六五) 松濤庵 名古屋・慶栄寺 足利義政(六六-六八) 太子堂茶室 名古屋・慶栄寺 超倫院義諦(六九-七二) 枯草庵 大阪・信太山泉半園 藤林宗源(七三-七八) |
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![]() 『数寄屋名園聚 蹲踞・手水蜂鉢』 編集・発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・102p ![]() ![]() |
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前詞 崇高、幽寂、重厚、瀟藷、陰欝、快濶、ーこれらの美的理、想を茶庭に求むるならば、それは蹲踞の景観と言ひ得るであらう。単純に生きた自然的な美、整形された均整美、考古的意義を含有して千古の藝術を物語る幽玄的な美、或ひは象徴的、地方的、民族的等の内容をもち、その工作、景趣に於てもあらゆる美の形式を完全に保ち、殊に茶事に於け′る重要なる役目をもつて、實用と景観美とを具備すも蹲踞は、茶庭に於ける藝術味豊かな特殊な存在である。 蹲踞を数奇屋の露地に用ふるやうになつたのは、凡そ茶道を完成の域に達せしめた紹鴎、利休時代と思はれるが、口を滌ぎ、手を洗ふための一つの構成要素としては、所謂閼伽井の岩組が即に奈良朝時代にその築造形式があり、また彼の日野山の光風霽月を迎へて、その秘境に親しみたる鴨長明の「方丈記」に『南に筧あり、岩を畳みて水をためたり』等とあることや、夢想國師築造による西芳寺湘南亭にある井泉、京都銀閣寺に最近発掘された足利義政公の井泉の遺構等、それらの岩組形式が、茶道の発達に伴ひ.日本人的な美的感情と宗教的な、敬虔な信念によつて、手水鉢、湯桶石、手觸石、其他添石等の組方、排水装置等を考へ、適当なる植栽を為し、燈籠の配置等と相俟つて、蹲踞を形式美的に教達せしめ、完成されたものである。殊に手水鉢は蹲踞構成の主要位置を占め、一つの造形藝術としての美術の分野をも有し、また趣味的な鑑賞立場においても豊富な美を感受されるのである。 茶道の妙趣に生きた、所謂幽寂の秘境を物語る蹲据、清浄無垢、禅林の三昧に心頭をすゝぐ蹲踞の景趣こそは、日本数寄屋の庭前に、悠久に禮讃して盡議きないものである。 本聚は古今の名園に築造されたる、各流茶匠や名将文人の遺愛せるもの、或ひはその意匠になれるものゝ代表的な蹲踞と手水鉢を収録したものである。 昭和十年初夏 紫雲洞 北尾春道 識 |
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[図版目次] 銀閣寺新発見の庭園中義攻公の井戸・(一) 自然石蹲踞の基本的右組の圖・(二) 妙喜庵芝山の手水鉢・(三) 青蓮院の富士形蹲踞・(四) 仁和寺遼廓亭の富士形蹲踞・(五) 成就院誰が袖の手水鉢・(六) 青蓮院の一文字形手水鉢・(七) 金閣寺夕佳亭の富士形蹲踞・(八) 平井邸の蹲踞・(十) 等持院の司馬温公形蹲踞・(一〇) 舊村井邸の蹲踞・(一一) 伽藍洞の蹲踞・(一二) 官休庵邸内の手水鉢・(一三) 天龍寺祥雲閤の蹲踞・(一四) 伏見稲荷茶屋の手水鉢・(一五) 岡崎邸の蹲踞・(一六) 猿面茶室の蹲踞・(一七) 勤修寺の半月形蹲踞・(一八) 天倫寺の舟形蹲踞・(一九) 松平廊の手水鉢・(二〇) 同・(二一) 同・(二二) 同・(二三) 同・(二四) 同・(二五) 方形手水鉢の諸相・(二六) 銀閣寺形手水鉢の詳細図・(二七) 六窓庵の四方佛蹲踞・(二八) 愉園の四方佛蹲踞・(二九) 官休庵の四方佛蹲踞・(三〇) 圓徳院檜垣の蹲踞・(三〇) 檜垣蹲踞の意匠寸法図・(三一) 妙喜庵書院の手水鉢・(三三) 同平面図・(三四) 曉花亭の蹲踞・(三五) 慈氏院の蹲踞・(三六) 若宮八幡社の手水鉢・(三七) 慈照院の菱形蹲踞:(三ハ) 銀閣寺の袈裟形手水鉢・(三九) 黄梅院の袈裟形蹲踞・(四〇) 有楽庵の蹲踞・(四一) 海福院の手水鉢・(四二) 圓形手水鉢の例・(四三) 松花堂の太子形蹲踞・(四四) 湘南亭の蹲踞・(四五) 干支庵の蹲踞・(四六) 十萬堂の蹲踞・(四七) 賓相庵の蹲踞・(四八) 淀看席の蹲踞と飛石の景趣・(四九) 高桐院の蹲踞・(五〇) 同詳細・(五一) 孤篷庵の蹲踞・(五二) 玉鳳院の手水鉢・(五三) 長闇堂遺愛の蹲踞・(五四) 唯松庵の蹲踞・(五五) 聚光院の手水鉢・(五六) 松平廟の蹲踞・(五七) 孤蓬庵露結の手水鉢・(五八) 同詳細図励・(五九) 孤蓬庵布泉の蹲踞・(六〇) 同平面図・(六一) 谷川茂庵の蹲踞・(六二) 松月齋十二支の蹲踞・(六三) 裏千家の蹲踞・(六四) 同・(六五) 十萬堂の蹲踞・(六六) 森氏所蔵の伽藍石手水鉢・(六七) 鬼瓦席の蹲踞・(六八) 輿聖寺の鐡鉢形蹲踞・(六九) 特殊形の手水鉢・(七〇) 松花堂の梅花形蹲踞・(七一) 眞珠庵の手水鉢・(七二) 来迎寺の月見形手水鉢・(七三) 相國寺僧庵の月形蹲踞・(七四) 八窓庵石堵頭の蹲踞・(七五) 鬼瓦席の舟形蹲踞・(七六) 松月齋の手水鉢・(七七) 光雲寺瑪の手水鉢・(七八) 青岸寺の井戸蹲踞・(七九) 同反對面・(八〇) 興望寺織部好の蹲踞・(八一) 同詳細・(八二) |
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![]() 『数寄屋名席聚 各流祖好』 復刻版 著:北尾春道 発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・100p ![]() ![]() |
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原本 著:北尾春道 発行:洪洋社 定価:金参圓五拾錢 | |||||
[前詞] 東山時代以前の所謂闘茶の形式で飲用されてゐた喫茶の風趣は、南都より出でた村田珠光によつて茶式の創定をみられ、次いで武野紹?鶴を経、千利休に至つて茶式の本格的な制定が行はれ、それに件ふ茶室も利休時代に於て完成されたのであるが、利休の流れを汲む多くの武士達は、茶道を一つの趣味的生活として自己の武家生活に織込むやうになり、各々其特色ある茶式と茶室の形式があらはれた。即ち利休の高弟たる織田有樂斎齋は、利休より?子の皆傅を受けながらも、その師利休の傅ふる茶式の直寫ではなく、有樂濁特の主義主張による茶道に生き、随つてその好まれた茶室も亦有樂の獨創的なものであつた。又古田織部正の如き、利休の茶流を受けつゝも、常に織部濁自の茶道に生き、殊に利休の歿後秀吉公より、「利休の傅ふる茶式は武門の禮に薄きが為めに茶式を改定せよ」との命によつて、所謂織部の唱導する書院茶式の制定が行はれ、その好まれた数寄屋も亦織部濁特の武士的生活に對する形式と内容をもつものがあらはれたのである。或は當代の茶匠金森宗和、細川三齋等も斯くの如く、織部の門下より出でたる巨匠小掘速州、或ひは千道安の系統を継ぐ高山右近の門下たる片桐石州等も、夫れゞ異つた見識のもとに、常に自己の生活内容に適合する茶道に生き、各.個性を最も率直に表はした茶室の建築構想が出現されたのである。 後世それらの茶流を稱して織部流、有樂流、遠州流、石州流、或ひは宗和流等と呼び、その特色ある好みの茶室をも観賞するやうに至つたのである。 本聚は全國の茶室中各々流租と稱せらるゝ代表的な好みのものより、最もその特色の明瞭なるものを選び、創建年代的に配列して上梓せるもので、前巻の数寄屋建築史図圖聚とも併せてその歴史的研究の資に供せんと試みた次第である。 昭和十一年彌生 紫雲洞 北尾春道 識 |
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[目次] 図版 席名━所在━好 珠光庵━奈良・稱名寺━村田珠光(一−五) 天示右庵━東京・津村重舎邸━利休好不審庵寫(六-十二) 閑隠席━京都・大徳寺聚光院━千利休(一三-一七) 八窓庵━奈良帝室博物館━古田繊部 正(一八−二七) 露滴庵━尾道・浄土寺━薮内紹智(二八−三六) 有樂茶室━奈良・依田忠一邸━織田有樂(三七−四二) 如庵━東京・三井男爵邸━織田有樂(四三−四八) 有佳亭━京都・金閣寺━金森宗和(四九−五四) 密庵━京都・大穂寺龍光院━小堀遠州(五五−六三) 不味室━奈良・慈光院━片桐石州(六四−六九) 中ノ坊茶室━奈良・當麻寺中ノ坊━片桐石州(七〇-七四) 既白軒━京都・妙心寺桂春院━藤村庸軒(七五-七九) 明々庵━松江・有澤山荘━松平不味公(八○−八四) |
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![]() 『数寄屋建築史圖聚 徳川時代後期』 復刻版 著:北尾春道 発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・98p ![]() ![]() |
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原本 著:北尾春道 発行:洪洋社 定価:金参圓五拾錢 | |||||
前詞 徳川時代初期に於ては、後水尾天皇の御唱導なされし宮中奈事や小堀遠州、佐久間将監等の大名諸侯を中心とする書院式茶事、及千宗旦や山田宗偏の唱ふる筒雅清寂な草庵式茶事の発達につれて、當代の数寄屋建築及造園藝術も、各々共唱導されし茶道の式事を行ふ為に、夫々様式的にも所謂高調期の発達をなしたのであるが、徳川後期に至つては、前時代における各茶匠の流儀諸派を継承し、且つは共流れを汲むものが多く、隨つて数寄屋に対する意匠的構想も前時代の様式模写がその総てゞあつたが、またその反面に於ては、当代の名匠本阿彌光悦や尾形光琳等が意匠豊かな雅趣に富む数寄屋を出現せしめ、或は光格天皇の簡雅な草庵風の数寄屋を造営せられたことや、各流の茶匠が平面計画の上にも多少新規の手法や創意をも加へられて来た。 然し當代に於ては単なる数寄屋建築よりも寧ろ数寄屋を配せられた庭園藝術が著しく発達し、殊に大庭園の構想と数寄屋の諧調を主題とせる即ち楽翁侯の浴恩園、松浦侯の蓬莱園、尾州侯の戸山荘、不味公の大崎園、水戸景山公の偕楽園同等、何れも當代に於ける代表的なものであつて、各々園内に配したる数寄屋も亦草庵式書院式の手法を巧緻に収入れたものであつた。 斯うした傾向の中にひとり最も自然的な清寂と、素朴な自由な茶の心境に生きて佗の眞髄に徹した藤村庸軒や、あらゆる数寄屋の平面構成に熱心なる創案を試み上段附書院、上段附圍、不白堂圍等を完成したる川上不白、或ひは前時代に於ける小掘遠州や片桐石州等の書院式手法を、全く濁自な草庵風に化して高雅な意匠と構想を表現したる松平不昧公等は、當代に於ける茶匠として特筆すべきものであらう.要するに徳川時代後期は前期に比して華麗な純書院式数寄屋や、意匠巧緻を極めたる構想は出現せざりしも、よく其時代の文化に順應せる特色ある数寄屋建築が造営せられたのである。 本聚は現存せる當代の数寄屋の内最も代表的な人士の好になるものを選び.その創建年代順に配列したるものであつて、本聚に収録し得ぎりしものは数寄屋名席聚に於て完結の筈である。乞ふ諸賢の御高教賜はらんことを。 昭和十一年元旦 紫雲洞 北尾春道 識 |
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圖版目次━所在━好 澱看席━京都・黒谷西翁院━藤村庸軒 (一−八) 遼廓亭━京都・御室仁和寺━尾形光琳 (九−一七) 義心亭━大阪・山田宗有邸━小西某 (一八-二四) 鳳鳴亭━大阪・住吉武田邸愉園━宙賓和尚 (二五−二九) 蓑俺・南明庵━京都・大徳寺玉林院━如心齊 (三〇−三六) 好文亭━京都・栗田口青蓮院━後櫻町天皇 (三七−四○) 飛濤亭━京都・御室仁和寺━光格天皇 (四一−四五) 菅田庵・向月亭━松江・有澤山荘━松平不昧 (四六−五〇) 篁庵━京都・大徳寺三玄院━籔内劔仲 (五一−五六) 桝床席(半方庵)━京都・大徳寺聚光院━了々齊 (五七−六〇) 松月亭━京都・醍醐三賓院━松濤庵道本 (六一−六五) 何陋庵━水戸・偕欒園━徳川齊昭 (六六−七○) |
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![]() 『数寄屋建築史図聚 江戸時代前期』 復刻版 著:北尾春堂 発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700円+税)A4・98p ![]() ![]() |
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原本 著:北尾春堂 発行:洪洋社 定価:金参圓五拾銭 | |||||
前詞 桃山時代の豪華な書院建築の反面をうけて、簡雅清寂な佗を本質とする数寄屋は千利休の茶道大成と共に、禅味の無碍に生きる自由の境致を建築的意匠や着想として表現され、風韻、高雅な建築構想が完成されたのである。次いで徳川時代になつて利休の子少庵やその子宗旦が出で、また古田織部正の高弟小掘遠州、細川幽斎の子三斎、片桐貞員、金森宗和等が出でて、数寄屋の意匠にも新規を加へられ、平面構成の上にも一つの進化を見、是處に草庵式数寄屋の外に書院式数寄屋が出現し、また書院式草庵式折衷のものや、或は松花堂の経営する茶堂式等のものも表はれて、所謂名流茶匠好や、文人武將の好になる典型的の数寄屋が生れ、就中造園藝術の発達及び一般美術エ藝品の鑑覚熱と共に、大名諸侯や宮中御所等の大庭固内にも建築さるゝやうになり、全く貴族的な数寄屋となつたのであるが、その間にあつて、千宗旦や其高弟山田宗偏は、千利休の簡雅な構想を継承して、飽くまでも佗の茶道に一徹したのである。かくして當代の茶事は後水尾天皇の唱導されし宮中公達を主とする宮中茶事、小掘遠州や片桐貞昌の大名諸侯を中心とする書院茶事、そして宗旦や宗偏の唱ふる一般民衆の茶事となつて、各々其特色と風趣をもつ数寄屋の建築的意匠やそれに連る茶庭等もますゝ発達して、所謂高潮期に達したとも稱されるのである。 乃ち、本聚は徳川時代前期に於ける各流茶匠及名将等の好になる代表的な数寄屋をはじめ、建築造園に特に御造詣深く、且つ風流雅境の三昧に徹底せられし後水尾天皇の御好になつた名席を収録し、玄玄に数寄屋建築史圖聚(徳川時代前期)を上梓することが出来、江湖の諸賢に供するの光榮を得た次第である。 昭和十年五月 紫雪洞 北尾春道 識 |
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席名━所在━好 | |||||
伏見稲荷御茶屋━京都・伏見稲荷紳杜━後水尾天皇(一 ━ 四) | |||||
燈心亭━大阪・水無瀬神官━後水尾天皇(五 ━ 十一) | |||||
八窓の席━大阪・一心寺━徳川家康(十二 ━ 十五) | |||||
泰慶堂茶室━大阪・願泉寺━伊達政宗(十六 ━ 十九) | |||||
忘釜━京都・大徳寺孤篷庵━小堀遠州(二〇 ━ 二十五) | |||||
山雲床━京都・大穂寺孤篷庵━小堀遠州(二十六 ━ 三十) | |||||
松琴亭━京都・桂離宮━小堀遠州(三十一 ━ 三十七) | |||||
八窓の席━京都・南禅寺金地院━小堀遠州(三十八 ━ 四十一) | |||||
松向軒━京都・大徳寺高桐院━細川三斎(四十二 ━ 四十四) | |||||
皆如庵━京都・圓山公園南━千道安(四十五 ━ 四十八) | |||||
六窓庵━東京帝室博物館━金森宗和(四十九 ━ 五十五) | |||||
今日庵━京都・裏千家━千宗旦(五十六 ━ 五十八) | |||||
叉隠━同左━千宗旦(五十六 ━ 五十八) | |||||
中ノ坊茶室━奈良・當麻寺中ノ坊━片桐石州(六十一 ━ 六十七) | |||||
宗偏術茶室━岡崎・明願寺━山田宗偏(六十四 ━ 六十七) | |||||
松花堂━京都・八幡西村邸━松花堂昭乗(六十八 ━ 七十三) | |||||
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![]() POD版 復刻版 数寄屋聚成 17 『数寄屋建築構造聚 外観構成』 著:北尾春道 発行:京都建築普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,700 円+税)A4・100p 原本 著:北尾春道 発行:洪洋社 定価:金参圓五拾錢 発行日:昭和十一年二月二十五日 ![]() ![]() |
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前詞 数寄屋建築に関しては古来より、相當数多く宗匠直伝或ひは正傅極秘傅と稱して.写本や寸法秘事録、起絵図等が一般に流布されてゐたが、それらの明細書を一見しても直ちに其概観を識ることは困難である.最近の茶室に関する参考書等も構造部分を最も明確に表示してゐるも物は少いために、多くの数寄者は多大の不便を感じてゐたのであるが、此缺鮎を補ふ為めに、其圖例の材料に対しても、現存する名席を可なり廣汎に亙つて蒐集し、且つ最も系統的に分類して本聚を企図したものである。 由来数寄屋の寸法なるものは茶道の約束として秘傅・秘事となし、猥りに博授することを許されなかつた。それはもとより茶租珠光や紹鴎、利休の相傅に出でたるものでなく、徳川中期頃より茶道の各派分流し、次第に茶道の本旨より墮落に陥ることを防ぐための一政策に外ならなかつた。眞の秘事秘録は結局大悟に徹した自己を打診するの極致であることを利休は教へてゐる。 数寄犀の構造も、定められた寸法や約束された寸尺に依つて工夫すべきものでなく、自己の徹したる茶道精神によつて一つの意匠構想を究め、然る後細部の寸法は更に洗練された自己の活眼によつて決すべきものである。 古今の名席に遺された意匠構造の寸法─それは各々大宗匠独自の見解と、茶道の禅味、大梧に到徹したる活眼によつて為されたものに外ならぬ.われヽはこの名席の構想を更に再吟味し、その精紳的意匠の分野を認識して、面して現代に生きた構想を求めねばならない。此の意味に於て今回企画したものが即ち数寄屋建築構造聚四巻であり、本聚はその第一篇外観構成で、主に数寄崖の屋根構造及び外壁面の意匠を蒐集したるものである。殊に構造工作の実例写真を収録し得たことは本聚の最も得意とするところであり、且つこれらの撮影に対し多大の便宜を輿へくだされし方々に深謝の意を表する次第である。 紫雪洞 北尾春道 識 |
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[目次] 図版目録 寳形造 傘亭姿図(豊公好)…一 同 側面…ニ 松花堂南面姿図(昭乗好)…三 長闇背面(利世好〕…四 同 正面姿図…五 吉野遺芳席北面…六 同 姿図…七 太子堂茶室(徳川末期)…八 心廣庵(近代)…九 入母屋造 東求堂(義政好)…一〇 同 南面姿図…一一 同 東面姿図…一二 八窓庵東面(珠光好)…一三 同 北面姿図…一四 織部八窓庵(織部好)…一五 同 側面姿図…一六 燕庵姿図(紹智好)…一七 如 庵(有楽好)…一八 松琴亭(遠州好)…一九 明々庵姿図(不味好)…ニ○ 切妻造及四注造 東陽坊(宗珍好)…二一 同 姿図…ニ二 松向軒(三齋好)…二三 皆如庵(道安好)…二四 大虚庵(光悦好)二五 龍門園茶室(徳川末期)…二六 金毛窟(近代)…二七 松殿山荘草庵(宗範好)…二八 湘南亭(少庵好)…二九 遼廊亭(光琳好)…三〇 廂・軒裏・竹樋 待 庵(利休好)…三一 中ノ妨茶室(石州好)…三二 澄心亭(後水尾院好)…三三 南坊庵(近代)…三四 閑雲亭(近代)…三五 瑞暉亭(近代)…三六 厭離庵時雨亭(近代)…三七 瑞暉亭(近代)…三八 屋根及軒裏工作例(1)…三九 同 (2)…四〇 有楽茶室屋根詳細…四一 竹樋受木の種々相…四二 三玄亭待合の竹樋…四四 火虚庵の竹樋…四五 外壁面の脚部 燕庵(紹智好)…四六 待庵(利休好)…四七 金毛窟(近代)…四八 澱看席(庸軒好)…四九 織部八窓庵(織部好)…五〇 湘南亭(少庵好)…五一 今日庵(宗旦好)…五二 入窓庵(珠光好〕…五三 燕 庵(紹智好)…五四 心月庵(心月庵好)…五五 湛浩庵(宗湛好)…五六 遼廊庵(光琳好)…五七 傘亭(豊公好)…五八 枕流亭(豊公好)…五九 不審庵(利休好)…六〇 叉隠(宗旦好)…六一 吉野遺芳席(吉野好)…六二 唯松庵寄付(庸軒好寫)…六三 飛濤亭(光格天皇好〕…六四 壁面脚部の工作例(1)…六五 同 (2)…六六 同 (3)…六七 柱下根石詳細…六八 腰羽目・袖壁 慈照院茶室(徳川初期)…六九 澱看席(庸軒好)…七〇 金地院八窓席(遠州好)…七一 潭北亭(近代)…七二 南坊庵(近代)…七三 豊公茶席(豊公好)…七四 大虚庵(光悦好)…七五 天祐庵(利休好)…七六 川喜田邸数寄屋(近代…七七 織部茶室(近代)…七八 刀掛 慈照院茶室(徳川初期)…七九 憶昔亭(豊公好)…八〇 孤篷庵山雲床(遠州好)…八一 湘南亭(少俺好)…八二 東陽坊(宗珍好)…八三 飛濤亭(光格天皇好)…八四 *** |
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![]() POD版 復刻版・数寄屋聚成 18 『数寄屋建築構造聚 窓・躪口』 編集・発行:京都普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,760円+税)A4・98p 発行日:平成26年4月28日 ![]() ![]() |
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原本:『数寄屋聚成 18』-数寄屋建築構造聚 窓・躪口- 著:北尾春道 発行:洪洋社 発行日:昭和十一年四月十八日 定價:金参圓五拾銭 |
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【前詞】より 茶室における窓及躪口は、すべての構造各部を通じて最も重要な位置を占め、殊に茶式に対して對しても相當主要な役割をもつてゐることは勿論である。窓には下地窓、塗残窓、櫺子窓、色紙窓、短冊窓、風臚先窓、臺目脇窓、床窓、墨蹟窓、花明窓、圓窓、華燈窓、或は破れ窓、猪目窓、天窓等の名稱が、その配置取付けされた場所により、或は形相や材料構造の種類により、またはその窓の用途によつて斯く名づけられ、それらの寸法も古来多くの茶匠達の好によつて様々な寸尺に取扱はれて来た。随つて同じ櫺子窓や下地窓と稱しても、その材料や構造等によつていろゝの意匠が表現され、その多くの窓の建築的配置や、茶式における用途の上に於ても、殊更に細心の注意を梯ひ、単に幽雅な美的調和や相對的な均衡を保ってゐるのみでなく、明暗、換気、大気の流動、そして眞心理的な活動がこの窓を通じて窺はれ、所謂陰陽五行の関係や、黄金割の法則も浸潤して、幽玄的な諧調を、示せるものと稱されてゐる。躪口は草庵茶室における外部よりの唯一の出入口であつて、およそ茶室の入口としては最も重要視され、古来その形式や構造寸法に就いても、多くの茶匠達によつて可なり緻幣な定法を口傳されたものと傅へられる。殊に躪口と窓とは常に相對的にその配置等をも考究され、而かも自由な意匠によつて構成されてゐるものである。 本聚は古往の名匠の好みになれる茶室の窓躪口の外装と内装を封照的に配列して、その構造部の詳細を解説せるもので、前巻外観構成の続篇として江湖の士の高評を賜らんことを希ふものである。 昭和十一年中春 紫雲洞 北尾春道 |
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圖 版 目 次 | |||||
[目次] 下 地 窓 八窓庵の下地窓(珠光好〕(一) 大黒庵の下地窓〔紹鴎好)(二) 待庵の下地窓〔利休好〕(三) 同 内部(四) 織部八窓庵の下地窓(織部好)(五) 同 内部(六) 燕庵寫露滴庵の窓(紹智好)(七) 同 内部(八) 憶昔亭の窓(豐公好)(九) 松向軒の窓(三齋好)(一〇) 孤蓬庵の下地窓(遠州好)(一一) 有楽茶室の下地窓(有楽好)(一二) 今日庵の下地窓 (宗旦好)(一三) 同 内部(一四) 咄々齋廣間の大下地窓(仙叟好)(一五) 無色軒の下地窓(仙叟好)(一六) 綻見の窓(庸軒好)(一七) 同 内部(一八) 水落邸の窓(宗鳳好)(一九) 同 床脇窓(宗鳳好)(二〇) 好文亭貴入口脇の窓(徳川中期)(二一) 寳集會寄付の下地窓(近代)(二二) 斑鳩庵の下地窓′(近代)(二三) 色紙窓の例(近代)(二四) 下地窓工作圖例(其一)(二五) 同 内部(其二)(二六) 奈良八窓庵の色紙窓(織部好)(二七) 同 内部(二八) 湘南亭の風爐先窓と床窓(少庵好)(二九) 同 内部(三〇) 東陽坊の色紙窓(宗珍好)(三一) 甘雨亭の色紙窓(近代)(三二) 希首座茶室の色紙窓(希首座好)(三三) 同 内部(三四) 櫺 子 窓 湘南亭の櫺子窓(少庵好)(三五) 同 内部(三六) 八窓庵の櫺子窓と下地窓(織部好)(三七) 同 内部(三八) 燕庵の櫺子窓(紹智好)(三九) 同 内部(四〇) 遼廓亭の櫺子窓(光琳好)(四一) 大虚庵の櫺子窓(光悦好)(四二) 天祐庵の櫺子窓(利休好)(四三) 甘雨亭の櫺子窓(近代)(四四) 瑞暉亭の櫺子窓(近代)(四五) 突上意・華頭窓・圓窓 天祐庵の突上窓(利休好)(四六) 有樂窓の突上窓(近代)(四七) 硝子障子のみの突上窓の例(近代)(四八) 洗心洞の突上窓(近代)(四九) 中ノ坊茶室の圓相入口(石州好)(五〇) 松月亭の圓窓(道本好)(五一) 吉野窓(吉野好)(五二) 同 内部(五三) 廣誠會茶室の圓窓(五四) 同 外装(五五) 松殿山荘の圓窓(近代)(五六) 圓相割窓の外装(近代) 躙 口 八窓庵の入口(珠光好)(五八) 同 内部(五九) 松濤庵の躙口(義政好)(六〇) 待庵の躙口(利休好)(六一) 實相庵の躙口(利休好)(六二) 不審庵の躙口(利休好)(六三) 有樂茶室の躙口(有樂好)(六四) 松向軒の躙口(三齋好)(六五) 奈良八窓庵の躙口(織部好)(六六) 燕庵の躙口(紹智好)(六七) 金地院八窓庵の躙口(遠州好)(六八) 澱看席の躙口(庸軒好)(六九) 宗偏茶室の躙口(宗偏好)(七〇) 明々庵の躙口(不味好)(七一) 躙口工作圖例(其一)(七二) 同 (其二)(七三) 同 (其三)(七四) 同 (其四)(七五) |
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![]() POD版 復刻版・数寄屋聚成 1 『数寄屋建築史図聚 東山・桃山時代』 編集・発行:京都普請研究会 販売:大龍堂書店 定価:(本体2,760円+税)A4・98p ![]() ![]() |
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原本:数寄屋聚成 1 『数寄屋建築史図聚 東山・桃山時代』 著者:北尾春道 発行:洪洋社 発行日:昭和十年五月十三日 定價:金参圓五拾銭 |
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【前詞】より 日本の数寄屋建築は世界のいづこの住居文化にも見出すことの出来ない、全く独歩的な立場をもつて発達した建築構想である。それは単に様式の美学構成や、または構造手法の優れててゐることや、或は特殊な平面構成をもつてゐるといふ意味のみでなく、哲学的な幽玄を旨とし、禅味の無碍に生きる自由の茶儀の風雅に適合せしめ、佗の一徹に生きんとして表現た構想をもつことによつて常に清新な活きた建築精神が蔵されてゐるのである。簡雅にして素朴な材料の撰擇による表現的意匠、そして風韻と明朗な創意的着想、かうした自然的の朋るい輝きと、佗の本質に生きた数寄屋に於て、純粋の日本的な建築の姿を見ることが出来るのである。 本聚は日本に於ける歴史的に著名な数寄屋各時代別に挙げて、数寄屋建築史図聚となし、各流宗匠や武人、文人等の好や意匠になれるものを掲げて、数寄屋名園聚となし、また古今を通じて代表的な茶庭を挙げて、数寄屋名園聚とし、そして近代作品として優秀なものを選びて、近代数寄屋名席聚となし、面して夫々卓越した各々詳細部を揚げて、数寄屋建築構造聚とし、全巻を通じて全日本の本格的な数寄屋を展観せしめ、面もその沿革と構成の大意を、和文と英文をもつて解説し、日本数寄屋建築の国際的進出を試みた次第である。 憔ふに東山吋代、南都の珠光によつて茶儀を創始されて以来、紹 、利休がその後を承けて、常承けて、当代の最高文化の象徴たる佛教の上に基礎をもち、華麗壮大なる桃山時代の書院建築の大成されし反面において、常に禅林の清観に活き、淡々素朴、世塵を離脱して、自由の境地に茶儀の風雅を充たし、是を助長する直接の具に建築の意匠が数寄屋となつて表現されたのである。 かく日本が風雅の世界的誇りとしてもつところの数寄屋建築、多くの巨匠達が思想的苦闘と、意匠的努力によつて、造り上げたこの偉大な建築構想を、最も系統的に配列して木聚を上梓し、江湖の諸賢に供することの出来得たことは、編者のこの上ない歓びであると共に大方の御批判を乞ふ次第である。 編脩に関しては、高橋義雄、正木直彦両先生より、顧問として懇切なる御指導を受け更に益田孝男爵、前山久吉氏、其の他多くの宗匠より顧問とし懇篤なる指教を賜り、且實測と寫真撮影に対し、特に寛容くだされし方々へ謹んで深謝の意を表する。尚本聚成全巻の出刊に関し、洪洋社出版部全員の絶大なる盡力によりしことを特記して深謝謝す。 昭和十年四月 紫雲洞 北尾春道 |
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圖 版 目 次 | |||||
席名━所在━好 | |||||
同仁齋━京都・銀閣寺東求堂━足利義政(一 - 四) | |||||
入窓庵━東京・井上侯嚼邸━村田球光(五 - 九) | |||||
八窓の席━堺・開口神社━武野紹鴎(一〇 - 一二) | |||||
大黒庵━堺・南宗寺山内━武野紹絹(一一 - 一四) | |||||
昨夢幹━京都・大徳寺黄梅院━武野紹鴎(一五 - 一八) | |||||
待庵━山崎・妙喜庵━千利休(一九 - 二六) | |||||
實相庵 ━堺・南宗寺━千利休(二七 - 三〇) | |||||
猿面茶室━名古屋・鶴舞公園━古田織部正(三一 - 三九) | |||||
月波櫻━京都・桂離宮━智仁親王(四〇 - 四二) | |||||
憶昔亭━本派本願寺・飛雲閣━豊臣秀吉(四三 - 四八) | |||||
枕流亭━京都・醍醐三寶院━豊臣秀吉(四九 - 五四) | |||||
時雨亭・傘亭━京都・高臺寺━豊臣秀吉(五五 - 五八) | |||||
春草廬━横濱・三渓園━織田有楽齋(五九 - 六六) | |||||
湛浩庵━福岡・平岡邸━神谷宗湛(六七 - 七〇) | |||||
東陽坊━京都・建仁寺━東陽坊宗珍(七一 - 七五) | |||||
湘南亭━京都・西芳寺━千少庵(七六 - 八二) | |||||
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