市田氏對龍山荘庭園

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京都発大龍堂:メール マガジン通巻 539号 2013年11月11日













作庭年代:明治時代
創作:小川治兵衛(植治)
様式:池泉回遊式
所有者:市田家
<明治時代の庭園の特色>
明治時代の庭園は、江戸中期から起こった自然風景主義的な庭園の集大成の時代でもある。特に京都の小川治兵衛(植治)の創作した庭園は、ここに紹介している対流山荘以外にも、南禅寺界隈に多数ある。たとえば山県有朋の別荘であった無燐庵や野村碧雲荘、細川別邸、など南禅寺界隈のいわゆる高級住宅地に散在している。この植治の作品は独自の世界を築いており、これはこれで非常に技術的にも傑出したものを持っているが、後にこの作風を取り入れたものばかりが日本中にあふれ、そして未だにそこから決別出来ていないのは、日本庭園の創作意欲に対する堕落でもある。
この庭園の敷地そのものは、もともと明治30年頃は寺院の敷地であったが、そのころ、鹿児島の伊集院兼常が、ここに草居を立てたのが始まりである。伊集院家の頃は、すでに下部に池泉が拵えられていたが、そのころにはまだ、現在のように池泉の中島や、滝組はなかったのである。その後、一時清水某氏がその後を譲り受け、さらに明治35年(1902)、初代市田弥一郎氏の所有となってから、現在に至っている。現存している建築や庭園は、二代市田弥一郎氏の時代、すなわち、明治40年に大改造を行ったものが残されているわけであるが、ただ茶席は、伊集院家時代からのものが残されており、そのため、茶席から北部のものは、そのほとんどが明治30年以前の作庭であったのを、明治40年以後、大改造を行ったのである。このように下部は比較的速く作庭され、さらにその後から聚遠亭庭園が作庭されたと見ていいであろう。作風は自然主義的なもので、借景を取り入れながら作庭されている。
[資料:市田株式会社]