HP内の目次へ・検索もできます! TRDシリーズ 『都市の建築』 著:アルド・ロッシ 共訳:福田晴虔、大島哲蔵  発行:大龍堂書店


2019年11月18日

HETERO 1 アドルフ・ロース 発行:大龍堂書店

『日本語版「都市の建築」のアルド・ロッシに関する人物評』
著者:片桐 悠自
東京大学大学院 工学系研究科
建築学専攻 博士課程2年
加藤道夫研究室
『都市の建築』日本語版の読解の一助となればと思われ投稿されました。
是非一読ください。


TRDシリーズ
POD版
『都市の建築

アルド・ロッシ著 ダニエーレ・ヴィターレ編
大島哲蔵/訳 福田晴虔/訳
B5・448p
定価:(本体4,800円+税)
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あの有名な「ホテル・イルパラッオ(福岡市)」を設計した、アルド・ロッシが若き日に執筆した、彼の理論体系の中心をなす書物で,世界7カ国で翻訳されている名著。原書から忠実に訳された画期的な出版である。
   
[目次]
端書き
CLUP版初版及び第二版例言
序 都市的創造物と都市理論
第一章 都市的創成の構成
 都市的創成物の個別性
 芸術作品としての都市的創成物
 類型学の問題
 素朴機能主義批判
 分類の諸問題
 都市的創成物の複合性
 永続性理論とモニュメント
第二章 基本要素と地域
 研究対象地区
 地区と居住区域
 住居
 ベルリンにおける居住類型の問題
 ガーデン・シティと輝ける都市
 基本要素
 都市要素間の緊張関係
 古代都市
 変貌過程
 地理と歴史。人間の創造物
第三章 都市的創成物の個別性―建築
 場
 科学としての建築
 都市生態学と心理学
 都市的要素の闡明
 フォルム・ロマヌム
 モニュメント。環境概念批判
 歴史としての都市
 集団的記憶
 アテネ
第四章 都市的創成物の進化
 多様な力の作用の場としての都市。経済
 モーリス・アルブヴァックスの理論
 土地収用の諸相
 土地所有
 住居の問題
 都市の規模
 選択としての政治
各版序文
 イタリア語版第二版前書き
 ポルトガル語版序文
 ドイツ語版への注記
 アメリカ版初版への序文
 ギリシア語版への付記
原注及び訳注
 序への注
 第一章注
 第ニ章注
 第三章注
 第四章注
 訳者補注
著者略歴及び書誌
 ロッシ略歴
 <都市の建築>イタリア語版及び外国版目録
図版目次及び索引
 図版目次及び出典
 固有名詞索引
付録
英語版編者序文(ピーター・アイゼンマン)
訳者後書き(記憶の廻廊にて)
訳者後書きへの後書き


アルド・ロッシと日本の都市
「だがそれが構成するものは、コミュニズムでないとしたら一体何なんだろう。他の連中にもそういってやってくれよ、マンフレード、だって、当時と同じように今日も、ぼくたちは、ぼくたちの欲望を貫く緯糸の上にこそ、未来の話を見いだしてきたんだからね。芸術というのは、さっきも言ったとおり生産を糧とするものだ。生産は集団的なものを糧としている。集団的なものは抽象化のなかで構築される―いまやこの集団的で生産的な抽象化こそが主体として追求されているんだ。」 ―アントニオ・ネグリ―
 アルド・ロッシ(1933-1997)は1984年にはじめて来日し、東京、京都、大阪を訪ねる。東京の都市構造が、ヨーロッパの都市のように広場や中心がないにもかかわらず、独自の構成規則をもっていることに興味を抱いていた。また昔ながらの店舗が伝統に基づく独自のファサードをもつことを肯定的に捉えていた一方で、数多く目につく巨大な広告を「醜悪な商業用途のもの」として否定的に捉えていた。京都を訪れた際は、碁盤の目の都市構造に興味をいだいており、フィレンツェやヴェニスのようなイタリアの歴史的古都との類似性を感じていた。大阪では、梅田の地下街に強く惹きつけられ、人々が生活の豊かさを享受する活気ある場として強く印象付けられていた。ロッシは自らが設計した「ガララテーゼの集合住宅(1969-73)」において、回廊部分がマーケットととして活気ある場所となることを望んでいた。日本においても市民の生活に密着したアノニマスな建築に惹きつけられていたようであり、投機的・場当たり的に開発する商業主義を嫌っていた。
 「ある面では、日本はアメリカの生活を移し替えてますが、私は欧米で言われているほどアメリカ的ではないと感じました」。この言葉は母国と日本を重ね合わせたのであろうか。ロッシの住む北イタリア、特にミラノは、今もイタリア全土の中で最も都市化・工業化が進んでおり、功利性・利便性を重視した生活が比較的無批判的に導入される。都市国家の集合体を統一した近代イタリア国家を一括りにするのは憚られるのだが、最も重要な共通するイタリア人の国民性として、ヨーロッパの中でも特に、保守的、伝統的慣習に基づいた歴史的都市景観の中での生活を重んじることとが挙げられる。
 ロッシが建築家として活躍し始める1960年代から1970年代にかけてのイタリアは、旧西側諸国でも特殊なイデオロギー的風土を持っていた。ヴェネチア建築大学(IUAV)でのロッシの上司であるカルロ・アイモニーノによれば、当時のイタリアの建築家は、左翼、さらには共産党員であることが多かったようである。ロッシは1956年にイタリア共産党(PCI)に入党しており、社会的関心だけでなくそれを実践しようという熱意が極めて高かった。イタリアの労働運動は1969年の「熱い秋」で最高潮に達し、ロッシもまた1971年に学生運動支援によりミラノ工科大学を辞職した。PCIは1973年「歴史的妥協」により与党キリスト教民主党(DC)と大連立をなす。1976年にPCIの勢いは過去最高のものとなり33.3%の支持率に達した。他の西側諸国、特に先進国では、共産党が野党第一党として活動し国民の三分の一の支持率を獲得するなど全く類を見ないことであり、戦後イタリアの特殊なイデオロギー的風土を象徴しているといえるだろう。ロッシがマルクス主義解釈の影響のもとに発展させた『都市の建築』の建築理論は、都市と建築に普遍的な構造を解明しようするものであった。こういった手法はアイモニーノの『近代都市の起源と発展』、ジョルジョ・グラッシの『建築の論理的構成』とも相通じるものがある。彼らの活動は1973年のミラノトリエンナーレにおいて「テンデンツァ」運動へと発展させられた。
 「私を含めて私たちは近代運動―それは用語としてはまだ固まっていていないかもしれませんが―に対する批判、またある意味ではそれに対抗すべき活動を行ってきました。近代運動の肯定的な側面が、同時に否定的な価値になることをも示してきたのです。グレゴッティやガルデッラ、アイモニーノ、それに私といったある一群の人たちは、あらゆることををやってきました。[…]商業主義的なものではなく、近代運動の方法が本来もっていた肯定的な側面をきちんと見直すことができたのです。」
 テンデンツァ運動は「合理主義建築[architettura razionale]」を標榜し、その建築作品は平滑に塗られた極度に抽象化された形態に特徴づけられる。その意味ではジェンクスやベンチューリなどのアメリカの建築家が行った建築記号の氾濫とは全く異なった表現であり、いわゆる「ポストモダン」的な饒舌な表現とは対局にある。むしろ既に歴史化されつつあった初期モダニズムの理念を正確に引き継ぎ、未来の建築に活用しようとする運動であったといえるだろう。ロッシはミース・ファン・デル・ローエやアドルフ・ロースに私淑していたと『科学的自伝』で述懐していおり、特に初期の評論で「シーグラムビル」を絶賛していた。ロッシはここで「シーグラムビル」の青銅やガラス、大理石といった素材が技術的観念を表象し、芸術家の表現と結びつけられた「類型的解決[la soluzione tipica]」になったと述べている。つまり、ロッシにとっての〈類型〉とは現実の素材と結びついた建築の構成形式であった。同時に既に現前化された過去としての近代建築を包括した現代都市のの美しさを積極的に肯定している。
 「現代都市は大変美しい。どんな古い都市と同じように。なぜなら我々がすでに見ている現代都市には、それは既に歴史と人間性が詰まっているからである。」  近代以降の都市の建築が巨大化することで人々は建築に対する興味をなくしてしまうとロッシはいう。彼は科学技術がグローバルに席巻し生活が変容する世界の中でしか自己の存在を規定せざるを得ないことに気がついていた。本来のモダニズムの美学とは、利便性と功利性へと奔りジャンクスペース化する都市を肯定することではなかったはずである。ロッシやテンデンツァ運動の建築家は、技術的進歩により際限なく増殖する現実を見据えながら、実存的、さらにはアウトノミア(自律・自治的)な都市生活を保つかという問題を先行して扱っていたということができるだろう。
文責:片桐悠自(東京大学大学院)

1トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』廣瀬純、榊原達也、立木康介訳、月曜社、2007
2 『GA』1985-01、『新建築』1985-03, p144
3 「アルド・ロッシに聞く」『au』1984-12, p122
4 Aymonino, Carlo,"Carlo Aymonino", Architettura Razionale 1973-2008, CLEAN,2008, p30
5 一方でPCFは労働組合のヒエラルキーの最高決定機関であり、硬直化した官僚組織でもあったようだ。コラリーツィによれば現実のイタリアの資本主義
社会を前提とした路線を取っており、事実上「社会民主主義」政党であったという。:シモーナ・コラリーツィ『イタリア20世紀史ー熱狂と恐怖と希望
の100年』村上信一郎監訳、橋本勝雄訳、名古屋大学出版会, 2010
6 『新建築』1985-03, p144
7 アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』三宅理一 訳, SD選書, 1984; Rossi, Aldo, A Scientific Autobiography, MIT Press, 1981, p171
8 Rossi, Aldo, ”Il "Seagram Building"", Casabella Continuità(223), 1959,p7-8
9 Process:architecture(75),1987, p9
アルド・ロッシに関する人物評PDF

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1993年