2000/1建築と社会 特集「21世紀のデザインの動向を見る」


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このシリーズは前回1998/9の特集「建築への証言’98-21世紀に向けて」に続く第2弾です。
第1弾は関西で活躍する建築家の提言です。今回は関西の建築にかかわる諸分野の方々が21世紀の都市・建築とデザインのあり方について提言しています。
今世紀の延長線上にある21世紀を生きる若き建築家<予備群>達はぜひ一読して頂きたい気になる特集です。何か一助となるのではないでしょうか。
次回特集の第3弾ではもっと幅広い人々が「建築」についての熱い思いをこの紙面で語ってほしいものである。
また、この雑誌は1917年創刊され今月号で第81集通巻934号です。
この協会は私達が生れる前から先人達(武田五一など)が建築の啓蒙を目指してきました。協会には「建築と社会」のBMが全部揃っている。若い諸君は一度、日本建築協会の門をたたいてほしいものである。
 
因みに本屋のおっさんも末席を汚しました。
如何したのか?間違ったのか?アンケートに答えています。一読ください。
下記参考まで
 
[アンケート]の設問1〜4.
 
設問1.貴方の専門分野において、これまで影響を受けた、人物、デザイン、思潮などをお教え下さい。
設問2.貴方の専門分野において、20世紀とは何だったのか、貴方のお考えをお教え下さい。
設問3. 貴方の専門分野において、21世紀に向けての、今後の流れ、めざすべき方向性について、お教え下さい。
設問4.21世紀に向けて、貴方のご専門分野から見て、建築デザインの今後の流れ、めざすべき方向性についてお教え下さい。

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『新しいジャポニズム』
山岸 豊 (株式会社大龍堂書店代表取締役 文化/1948年生)
1.ドキュメント作成のすすめ
 偶然必然 僕が“生とは?”と自問自答していた頃、小林秀雄の「考えるヒント」に出合いました。それは 、「複眼的洞察力」でした。
また、父のメッセージ「未は大川となる水もしばしの間は木の葉の下を潜る」を心し、僕は「人は偶然の積み重ねを必然と考え、そこに自分なりの道を見つけ喜び悲しむのでしょうか」という言葉を子に遺します。そして子は孫へ何を遺してくれるのでしようか……。
2.こころの不在
 20世紀はあらゆる事象に対し「人は人に対し何をなすべきか」を忘れた時代です。哲学者達は「我思う故に我あり」「人間は考える葦である」と説き、「考える力」「知を愛するこころ=哲学」を薦めます。
人間形成は「真の対話」から生まれます。しかし20世紀は「利己主義的世界」、「無関心」が横行しました。
一体こんな日本に誰がしたのでしょうか。それは我々と物事を単眼的にしか考えることのできない日本の文化人「専門家」だったのです。真の文化人とは孔子の説く六芸(礼・楽・射・御・書・数)を備えた人間です。
3.「風土・町衆文化の検証からの実践」
 大切なのは文化の成立過程です。文化はその地域の土着思考形態や風土と結合し、悠久の流れの中で幾多の変遷を繰り返し、洗練され日本文化が生まれました。風土と異文化との対話の必然性は、ル・コルビジェのスケッチ集「東方への旅」や若き日の原広司の「集落への旅」、司馬遼太郎の「街道を行く」、和辻哲郎の「風土」等で実証されました。すなわち、行動方向性に方程式が必要なのです。それは、3P(process,policy,Phirosophy)+3w(whose,What,Why)&oneI=if=人間」、根対主義的シミュレーションの実践です。
4. 新しいジャボニズム/「生きた」哲学の実践
 吉村篤一は「伝統とは新しいスパイスを加味創作するもので作品は自分自身である」と言い、白井晟一は「本当の建築は50歳からだ」と説き、河野通祐は「建築家とはプロフェッショナル作家の人格に与えられる称号であると人格形成に警告を発しています。
 再生が基盤にある日本建築は部材を取りかえることにより数百年の風雨天災に耐えます。建築家は単にヨーロッパを模倣するのではなく、遺伝子の叫びに耳を傾け、こころ時代の〈日本特有の美学〉を再生させ、上記の方程式を基にデザインすべきです。また建築情報を子供達に発信し、マクロな〈楽しい〉議論を深めるべきです。建築家ではない我々も自分の職業において「新町衆文化の創作」を実践する使命感を持たなければなりません。感謝合掌
(やまぎし ゆたか)

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