【寄神宗美プロフィール】
_経歴_
_作家活動_
●主なグループショウ
●主な個展
≪主な作品コレクション≫
_連絡先_ 耀 窯
〒6158253 京都市西京区御陵北山町26ー8 TEL:075-392-1053 FAX:075-392-1059
〒6290331 京都府船井郡日吉町生畑西垣内16 TEL:0771-72-0528
【RE-CREATIONSについて】_寄神宗美_
そのものの在る空間が自然に支配され、つねに存在し、空間、時間により見え方が異なり、見る人がその時々で新たな創造を起こし得ることと思います。
≪作品の制作方法について≫ |
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論 評_菅谷富夫著 1992,5,14
<寄神宗美の作品>
陶芸あるいは工芸といった範疇にいれられる作品を前にしたとき、人はその作品がどのような過程で作られたのか、その未知の技術上の手法に興味をもつ。言葉をかえれば見る者には創造不可能なまでの「美しさ」を陶芸あるいは工芸の作品たちはもっているということであろう。それは、「これは何を表現しているのかしら」などと勝手な連想をはたらかしてその意味するところを求めようとする「純粋美術」の作品に対する反応と好対照を見せている。そこには陶(工)芸の作品はその固有にもつ「美しさ」ゆえに、たとえ表層的であれその意味するものや広い意味での「内容」といっつたものが問われず、むしろ技術面だけがクローズアップされるという陶(工)芸が置かれた皮肉な現状が表わされているともいえよう。純粋美術と工芸の一種の階級意識とでも言えそうな優劣観では真の作品理解には遠く及ばないのは言うまでもないが、どちらにしても、百数十年間の日本の近代社会の中で、「近代意識」をもつた芸術家であるはずの陶芸家の作品であろうと、社会の眼は陶(工)芸家を依然として職人仕事としか見ていないという証拠でもあろう。
寄神宗美の作品もそのような陶(工)芸固有の危うい「美しい」をもっている。したがって父親ゆずりの土風呂づくりの技術が、その「美しさ」、すなわち磨かれた大理石を思わせる窯変の部分、そして漆喰か象牙を思わせる素焼きの部分、そして漆黒の黒陶の部分といった各部分の制作のきとして語られる子とがあったとしても、なぜ子のような部分が全体を構成しているのかが語られることは少ない。見た者がこの作家にまず問い、賛え、語るのはこの「美しさ」であって、それゆえこの作家を出現させた思考と感覚のあり方は不当にもそれにふさわしい注意をむけられるこよは少ない。彼のもつ技術力と作品の仕上がりが高度であればあるほど、その事態は恒常化してしまう。寄神宗美の作品を語ろうとする時その技術的視点からではなく、かえりみられなかったもう一方の視点、すなわち彼にこのような作品のつくらせた原動力である彼の思考および感性ー造形原理を問う視点から、かれの作品を見なおしてみたい。
結論から言えば、彼は「分解」と「再構成」という二つ概念をキーポイントに作品をつくっている。この1985年以降、展開しているRe-Creationのシリーズは、まず作品の形を一度、形成した後に意図的にそれをいくつかに分離し、その各部分をそれぞれ異った方法で焼成してからもとの形に接合するといった手順でつくられている。一般には一部分の窯変による「美しさ」だけが強調されて他の部分はその引き立て役に見られがちだが、作家の意図はむしろ、部分に分解されて、あらためて接合されているところにあるのであろう。しかし、そのような作家の意図だけでこの作品の本質を語るのはむずかしい。なぜなら陶芸という媒体は作家の意図だけで成立するにも最も不向きなものであり、作家は自らの意図とさらにそれを成立させる媒体の特徴さえも自らのうちに取り込んで制作しなくてはならないからである。そこには時として矛盾や対立が入り込むこともある。